『仕事』

店長代行 青木 洋夢(2008年入社)

私は車が好きだ。物心ついた時から車に夢中だった。両親や友人とテレビでF1やル.マン24時間耐久レースを観てドキドキしていたのをいまだによく覚えている。

そんな車大好きな私はミニ四駆やラジコンプラモデルなどにものめりこみ、大会にも参加した。自分で作った車で勝負し負けては悔しがっていた。どうすればもっと速い車になるのか、どうしたらコースアウトしないのか考えていた。

その後中学生になり、現実の車の構造を調べ、なぜこの部品が必要でなぜこの場所についているのか理解するまで整備雑誌を読んでいた。そんな私は中学一年生の段階でホンダテクニカルカレッジへ入学を決めていた。両親と話し志望校を変更し自分が車の開発に携わりたいと考えていた。そんな中であったのがドリフトであったり、プライベーターによるレースだった。自分の車の備品を替え、試行錯誤する様子はミニ四駆で試行錯誤していた自分と重なった。やっぱり車を直接触って整備したい。その気持ちがとても強くなった。

その後テクニカルカレッジ関東へ入学。全国から集まったホンダ好きと車やバイクについて語り合ったがとても楽しかった。

卒業後の進路について考えていた私は地元佐賀でホンダディーラーを探したところ運よく今の会社に拾っていただいた。

働き出した私は、毎日がとても新鮮でもあったし、こなすので精いっぱいの状態が続いた。

そんな中初めて大きなミスをしてしまった。お客様の大切なお車を磨いている際ポリッシャーでドアを傷つけてしまったのだ。工場長へ報告し担当営業さんにも報告。担当営業さんは自分が誤っとくから気にしないでと言ってくれた。しかし私は一緒に謝らせてほしとお願いし、お客様へ謝罪した。すると私は意外な言葉をいただいた。

「私の車でよかった。私は直ればそれで構いません。いい勉強になったでしょう。これでこれから他の方の車も安心して磨けますね。」

優しくまっすぐな言葉に私は心にぐっと入ってくる何かを感じた。

その後私は見積もり連絡やおすすめ交換部品を積極的にお客様へ提案していった。お客様からの調子がよくなったよ。安心だよと言っていただく度うれしくなり、やりがいを感じるようになっていた。

不意に営業になってみないかと話をいただいたのもそんな矢先だった。迷いがなかった訳ではないがお客様と話し、提案する楽しさを知った私は営業になる決意をした。

営業になってお客様と商談しご成約いただいた瞬間とても嬉しかった。無事納車も終わり点検の度にお客様の充実した生活を見ることができた。出産、入学、卒業、就職、退職

などお客様の人生に触れるたびに私も嬉しくなった。そうするとお客様もどんどん増え、点検代よりはるかに高い移動費を払って壱岐北九州、熊本からも会いに来て下さるお客様私が結婚し、子供を授かり、妻の出産。そのたびに遠くからお祝いを送ってきてくれる。

 他県なのにお客様を紹介して下さる。お客様との感謝のつながりが私のやりがいになる。そんなやりがいが営業になって感じることのできた宝だ。

 まだまだ成長できていない私を成長させてくれながら、お客様の人生に触れることができるものそれが私にとっての仕事だ。

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